プロバイダ革命──「interQ ORIGINAL」が切り拓いた世界への扉

1995年冬。Windows 95の発売に世界が沸き立つ中、日本のインターネットへの扉は重く閉ざされていた。「つなぎたくても、つなげない」。それが現実だった。

当時、インターネットの接続にはクレジットカードが必須で、書類の郵送やID発行待ちに数週間を要し、ようやくIDが届いても難解な設定が立ちはだかる。インターネットは技術者など、ごく一部の限られた人のものと諦められていた。

その高い障壁を打ち破ったのが、現在のGMOインターネットグループの祖業「interQ ORIGINAL」である。世界初の非会員制インターネット接続サービスは、「1分で接続」「複雑な手続き不要」を実現し、情報の民主化を加速させる「革命」の先駆けとなった。

熊谷正寿、インターネット革命の入り口に立つ

1994年6月、すべてはここから始まった。熊谷正寿(現GMOインターネットグループ代表取締役グループ代表)は、日本経済新聞の「米国企業がインターネットの覇権を争っている」という記事に雷に打たれたような衝撃を受けた。

「インターネットは今後、産業と社会の中心になる」

熊谷の脳裏には、かつて鉄道会社が線路を敷き、駅を起点に商業施設や不動産開発で巨大な経済圏を築いた歴史が重なった。インターネットは現代の「情報の鉄道網」だ。このインフラを押さえた者が次代の覇者となる。「だからこそ、今なのだ」。確信は揺るぎない使命感へと変わった。

しかし、道のりは孤独だった。周囲の経営者の多くが「海のものとも山のものともつかぬ」事業に懐疑的な中、唯一、熊谷のビジョンに強く共鳴し背中を押したのが西山裕之(現GMOインターネットグループ取締役グループ副社長)であった。

「誰もやらないなら、我々がやる」。確固たる意志を持った同志たちの挑戦は、ここから動き出した。

ダイヤル Q2とプロバイダ──「通話料=課金」に賭けた逆転の発想

当時、数週間かかる入会手続きこそが、インターネットの普及を阻むボトルネックだった。

熊谷はこれを一気に解消する手段として、NTTの「ダイヤルQ2」に着目した。

電話番号をダイヤルするだけでNTTが情報料を通話料と一緒に徴収・請求するため、課金が成立する。つまり、電話番号そのものがIDとなり、回線そのものが決済機能を果たすレジスターとなる。これを応用すれば、「初期費用・月額費用・会員手続き」が一切不要になる。

「通話料こそ最速の決済インフラであり、回線がレジに変わる」。

この戦略が、interQ ORIGINALの爆発的普及の原動力となった。

1分で世界へ──爆速の全国展開とフランチャイズの奇跡

1995年12月、サービス開始。「1分20円・手続き不要」という圧倒的なユーザー体験は熱狂的に迎えられた。

特筆すべきは展開速度だ。開始わずか1か月半でアクセスポイントは全国51拠点に拡大した。ベンチャーがなぜこれほどのISP網を構築できたのか。鍵は世界初の「フランチャイズ方式」にあった。

「インフラを独占せず、共有し、共に収益を上げる」。

加盟企業や個人がアクセスポイントを設置・運営し、接続料収入をシェアする。主要都市は直営、地方は地場のパートナーに委ねることで、資金負担を極小化しながら爆速で全国展開を実現したのだ。

この戦略を現場で推進したのが、森輝幸(現GMOメディア代表取締役社長)である。1996年5月の事業説明会には希望者が殺到し、2000年半ばには全拠点の約22%をフランチャイズが占めるまでに成長。この時築かれた信頼関係は、その後のグループ拡大の礎となった。

ダイヤルアップ接続用CD-ROM──雑誌広告が巻き起こした接続革命

1996年秋、さらなる攻勢に出る。パソコン誌の付録として、インターネット接続設定を自動化するCD-ROM「interQ GO! GO!」を配布したのだ。

高額な広告枠の代わりに、CD-ROMのパッケージ自体を派手な広告デザインにし、書店に並ぶ雑誌そのものをメディア化するゲリラ的マーケティングを展開した。

ユーザーはCD-ROMをパソコンに挿入し、市外局番を入力するだけ。すべての設定が自動完了し、60秒以内に接続できる。「設定が難しくてできない」という最後の壁を取り払ったこの施策は、爆発的なユーザー増をもたらした。「使いやすさこそ正義」。徹底した顧客視点はここでも貫かれていた。

鮮やかな幕引き──「No.1」へのこだわりと次なるステージ

破竹の勢いで成長を続け、73か月間の累積コール数約2,200万回を記録したinterQ ORIGINAL。しかし、終焉は突然訪れる。

2001年4月、NTT東西がダイヤルQ2利用に「4桁の暗証番号入力」の必須化を発表したのだ。これは「手続き不要・即時接続」というinterQの存在意義を根底から否定するものだった。

熊谷の決断は速かった。

「我々の価値は『速度』と『簡便さ』にある。それが失われるなら、続ける意味はない。」

収益の柱であったサービスだが、顧客に最高の体験を提供できないなら固執すべきではない。規制開始の猶予はわずか数か月。熊谷は迷わず撤退を決め、2002年1月21日のサービス停止と、会員制サービス「interQ MEMBERS」への無償移行を発表した。

この迅速かつ鮮やかな幕引きは、変化を恐れず進化を選択するGMOインターネットグループのDNAを象徴する出来事として、今も語り継がれている。

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