インターネット広告がまだビジネスとして成立するか疑問視されていた1990年代後半、メールマガジンという新しい媒体に「広告」という命を吹き込み、「まぐクリック」の設立から上場まで、わずか364日という驚異的なスピードで成し遂げたのが西山裕之(現GMOインターネットグループ副社長)である。
熊谷正寿(現GMOインターネットグループ代表)と西山の決断が、インターネット広告の未来を大きく動かすことになった。
ピザ屋で口説かれた「メール広告ビジネス」
1999年、インターキュー(現GMOインターネットグループ株式会社)の上場を数カ月後に控えたある日、熊谷は西山を渋谷区桜丘のピザ屋へ呼び出した。熊谷が熱く語ったのは、「メールマガジンに広告を配信するビジネス」だった。
当時、メールマガジンのビジネスは読者の購読料が中心であったなか、本格的な広告配信プラットフォームをつくり、インターネット広告市場を切り拓こうとしていた。すでに組むべきパートナーも決まっていた。メールマガジンの巨大メディア「まぐまぐ」を運営するユナイテッドデジタルと、技術力を持つネットアイアールディー(現GMOネットアイアールディー株式会社)である。この2社とインターキューの3社が組めば、新しい市場を創り出せる。そして広告配信ビジネスの会社を任せるなら西山だと、熊谷は確信していた。
当時の西山は、自身の会社を経営し、複数の事業を展開していた。社員も増え、数字だけを見れば順調そのものだったが、「ニッチビジネスでつまらない中小企業の親父になっているのでは」というモヤモヤを抱えていた。
その思いを感じ取った熊谷から、「会社は人生の目的ではなく、夢を叶えるための“道具”だ。このインターネット革命に参加しないでどうする」と迫られた。徐々に西山は、「立ち上げだけ手伝うつもり」から「本気で取り組む覚悟」へと変わっていった。
翌日、西山は自社の幹部メンバーを集め、「自分は会社を離れ、新しいチャレンジをする」という宣言をした。当時、会社には4つの事業があり、いずれも黒字化していた。西山はそのうち3つを幹部に譲り、自身は会社を離れる決断をした。安定した経営者の道ではなく、インターネット革命の中で勝負する道を選んだ瞬間だった。
まぐクリック設立
1999年9月8日。インターキュー、ユナイテッドデジタル、ネットアイアールディーの3社による共同出資で、「株式会社まぐクリック」が設立された。まぐまぐというメルマガ配信メディア、ネットアイアールディーの持つ技術力、そしてインターキューが培ったインターネットビジネスの経験という、三者三様の強みを束ね、「メール広告という新しい市場をつくる」事業が走り始めた。
代表取締役社長には熊谷自らが就任し、西山は取締役として合流した。しかし、実際にはメンバー採用から開発指揮・事業立ち上げまで、西山が実質「社長」として全てを担っていた。
「サイトに呼吸させる」――解除ボタンの哲学
まぐクリックの事業立ち上げは、決して順風満帆だったわけではない。とくに、メールマガジンの発行元であるまぐまぐ側との間では、「広告をどこまで入れるのか」をめぐって、議論もあった。
広告を増やせば収益は上がる。しかし、読者にとっての読みやすさや「情報としての信頼性」が損なわれてしまっては本末転倒だ。このような意見の食い違いから、開発も順調には進んでいなかった。
そのような折、現場間のちょっとしたいざこざをきっかけに、西山は京都まで謝罪に出向くことになった。これがウェブマスターの深水とじっくり対話する機会となった。
このとき、西山の印象に強く残ったのが、「解除ボタン」に対する哲学だった。「サイトには呼吸をさせなければいけない。読者が『もう読まなくていい』と思ったら、いつでも解除できるようにしておくことが、かえって信頼につながる」
読者が主体的に選択できるようにサイトを設計すること。それは、インターキューが大切にしてきた「お客さま志向のサービス設計」と深く通じる考え方だった。この哲学と出会ったことで、まぐクリックのサービスは、「売上最大化」ではなく「読者と広告主の双方にとって心地よいバランス」を追求する方向へと進んでいった。
3か月のスピード開発、初月黒字の「一期決算」だけで上場申請
会社設立から約3カ月後の1999年12月1日、まぐクリックは広告配信サービスの提供を開始した。効率的な広告配信システムと、まぐまぐの巨大な読者基盤が組み合わさったことで、インターネット広告がまだ疑問視されていた時代において、事業は初月から黒字を達成した。まぐクリックはビジネスとしての手応えを早々につかむことになった。
上場申請は、この12月ひと月だけの「一期決算」で行われた。
設立から364日後の2000年9月5日、まぐクリックは大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場(後のヘラクレス市場、現在の東証スタンダード市場の前身の一つ)に上場を果たした。創業1年未満での株式公開は国内初とされ、日本最速クラスの上場記録となった。
上場記念パーティの場で、西山はこう語った。「今日、私たちはリングに上がることを決断しました。ここからが戦いです。」これは、単に一つのベンチャー企業が上場に成功した、という話ではない。インターネットという革命のまっただ中で、インターキューが上場だけで満足することなく、「広告」という領域でもNo.1を目指す覚悟を示した瞬間でもあった。